ちょっと機会があって、ちょーうまいオーケストラの演奏会に行ってきた。
部活を引退して演奏する側から離れて果たして俺の聞き取る力はどーなってるかと思ってたが、そんなものが関係しない、問答無用の実力が彼らにはあったわ。
とにかく激ウマ。ホルン(部活時代、俺はホルン奏者だった)のトップはダイナミクスレンジ音程共に完璧だった(下を吹いてる人はイマイチだった。調子も悪かったのか?)し、ピッコロも音の抜けがバツグンだった。恐らくあの人は国内でもトップの腕前なんだろう。
ゲストで来てたピアノ奏者の女性も正確性はもちろんのこと、クッソ長いチャイコフスキーの曲を集中力を切らさずに弾ききっていた。安く言えば、底なしの体力ってやつだろう。

てなわけでホントに素晴らしい演奏を聴かせてもらったんだが、実は俺の心はヒジョーに沈んでいた。
それはなぜか。端的にいうと、自分のダメさとこれからのどーにもならなさを改めて実感させられたんだわ。
こんな俺でも吹奏楽部での数年間を割と精一杯やってきたけど、それでも到達できるレベル(自分のではない。あくまで楽団全体の)の限界みたいなものを感じたし、まあいろいろ問題もあって今では黒歴史という言葉では足りないほど思い出したくない記憶になってしまった。
今回の演奏会で、改めてアマチュアのやる音楽がいかにくだらないか(アマチュアでマジメに音楽をやってる人には本当に申し訳ない。でもとりあえず話を最後まで聞いてほしい)、そして自分がそのくだらないものに注いできた中高の生活のムダさを完璧に思い知らされてしまったんだ。
彼らの出す素晴らしい音の一つ一つが、俺の心の傷的な何かを確実に強く強く抉っていくんだ。
それは苦行以外の何者でもないよ。
だから、あれほど沈んだ気持ちになってたんだな。

そもそも、なんでアマチュア音楽をくだらないと評するのか。
実はこの理由は簡単で、「演奏することが仕事ではないから」≒「給料がかかってないから」だ。
当たり前のことだが世間一般の仕事では嫌な仕事、嫌な上司といったものに明確にNOをつきつけることは殆ど許されない。
「この仕事は嫌いだからやりたくない」「あの上司は嫌いだから、言うことを聞かなくていい」なんてのは言語道断なわけだ。そんなことをしたら即クビになり、生きるためのお金が稼げなくなってしまう。
ところがアマチュア、特に学生の楽団ではそれが罷り通る。
「この曲は嫌いだから、まあ演奏も適当でいいだろう」「嫌いな先輩から練習しろと言われた。うざいから適当に曲が通ってればいいや」
こういったことが許されてしまうんだ。
確かに嫌われている先輩や嫌われている曲を選んだ側にも問題があるのかもしれないが、それは音楽に適当に取り組む理由にはならない。
問題は間違いなく適当なことをやっている側で、嫌われているのを改善するのはそれが解決した後な筈だ。
金のかかっている仕事では適当なことをやっていると出世や給料アップは見込めないし、金がかかっているからこそみんながその為に頑張って、結果その職場のレベルは上がっていく。
ところが金のかかっていないアマチュア楽団では必ず適当に取り組む人間が出てきてしまうんだ。音楽のような団体競技ではそういう人間がいてしまうと全体の到達できるレベルにも底が見えてしまう。
これこそが、俺がアマチュア楽団をくだらないものと評する理由だ。
ちなみに、この問題を解決しているアマチュア楽団はなくはない。
ただそういった楽団はほぼ例外なく顧問若しくは指揮者がまるで宗教の教祖みたいなものになっていて、メンバーは皆教祖様を盲目的に信じている。
それはそれで別に悪くはないと思うのだが、俺自身はそんなのは本当の音楽じゃないと思ってるしそもそもそんなカリスマ性を持つ指導者は全国でもごくわずかだ。
大半の楽団は「生徒の自主性を尊重」「例えレベルが低い人がいても、みんなで結束して演奏を成功させる」的なことを最上の命題としている。
所詮学生の自主性なんかを尊重すれば楽団が腐っていくのは目に見えてるし、どうしてもレベルが低い奴はとっととクビにした方がいいと思うのだが…
俺は中一の時(つまり音楽を始めたとき)からそういうのがイヤだった。
「ふじつぼっとはまだ一年生だから、これはまだできなくていい」みたいなことを言われたら絶対すぐできるようになってやると練習した。きっと「一年生だから」でレベルが低いのを妥協されるのが嫌だったんだろう。
さっきから何度が使っている「適当」というのはすなわち「妥協が多い」という意味である。そして俺の所属していた楽団は間違いなく妥協の多い所だったんだ。
※「じゃあプロになれよ」と言う方がいるかもしれないが、それはあまりにキビシー。俺の先輩にプロの卵的な人が二人いて、その人らとは結構仲良くさせてもらったんだが一般人とはセンスが明らかに違った。それにプロになるには家庭の理解なんかも多大なものが必要だ※

俺はこれに気付くのが、あまりに遅すぎた。
適当にやってるやつのせいで演奏のレベルが伸び悩んでいても「自分が頑張ればもっとよくなるはずだ」と信じて疑わずに、周りの空気とかを顧みず精一杯やりすぎた。
その結果、まあ色々と問題を起こしてしまったんだ。
アマチュアの楽団は適当な演奏者が多いんだから、自分も適当で何の問題もなかったのにな。
それに気付いたのは、引退前の最後の演奏会だった。
俺はこの演奏会の一週間前に足を骨折してしまって、ろくに練習が出来なかった。
ということで顧問の先生に演奏参加の辞退を申し出ようとしたのだが、それが受け入れてもらえなかった。
その時は「まあ引退前最後の演奏会だから、最上級生全員に出てほしかったのかな」みたいなことを考えていたし、ただただ足を引っ張るのが申し訳ないとも感じていた。
ところがそれはとんだ検討違いだった。
周りの演奏のレベルは、一週間のブランクがある上ろくに練習出来てない俺と大差なかった。俺より出来てない奴も多かったくらいだ。(決して自惚れではない。いくらなんでも四年半やってきた吹奏楽なんだからそれぐらいの客観視はできる)
その時、ようやく俺は気づいたんだよ。
自分がやってきたことは、なんて見当違いなことだったんだろうってことに。
なんてくだらないものに自分は所謂「一生に一度の青春」を費やしてきたんだろう。
そう思うと、悲しさより何より空虚感ばかりが沸き上がってきて、そのあとはなにもする気になれなかった。
結局、引退式は俺一人だけ欠席し、引退記念の色紙も受け取らなかった。



冒頭に「演奏会が激ウマだった」と書いたが、どうしても俺の耳は演奏者(特にホルン)のミスをいくつかとらえてしまった(一応音楽経験者なんだから当たり前だ)。
別にそのミスを否定する気はさらさらない。とにかくホルンはミスがつきものの楽器なんだ。
ただ、今の俺を一リスナーとして考えてみると
・ミスには人一倍敏感で
・素晴らしい演奏を聴かせられれば心を抉られ
・かといって自分が再び演奏側になることはもうない(もうあんな思いはゴメンだ)

なんなんだこれは。
これならまるっきり素人の方が億倍マシだ。
俺の四年半はただカラッポなだけじゃなかった。
オーケストラを人並みに楽しむという当たり前のことでさえ、できなくさせてしまったんだ。

音楽を聴くのは大好きだ。
ただ、今の俺に吹奏楽やオーケストラは間違いなく身の丈に合ってない。
いつもみたいにウォークマンでB'zや東京事変を聴いて、これまでやってきた音楽とはさほど関係のないところで楽しむのが身の丈に合っているんだろう。
しょうがない。もう俺は何もできない人間なんだ。
勉強もさほどできるわけじゃない。運動がうまくもないし、麻雀だってへたくそだ。
もう残ってるのなんて、あわあわすることくらいだ。
だからこれからは、ただただあわあわして、生きるのがたち行かなくなるまではなんとかやっていこう。
そうすりゃいつか宝くじも当たるよな。